「充実感」を感じやすい人

日経ビジネスオンライン

 おもしろい本を読んでいるうちに夜が明けてしまうことがある。逆に、ほんの数分のプレゼンテーションが何時間にも思えてしまうことがある。

 楽しいことは夢中になって取り組めるのに、興味の向かないことは退屈で仕方ない。楽しく過ごしたほうが心身にとってプラスになることは多そうだ。

 では、我を忘れるほどハマる“没頭”とはどういう状態を指し、どのように人は没頭に導かれていくのか。そんな無我夢中状態の解明を目指した心理学の理論があるという。「フロー理論」だ。

−−楽しいことはあっという間に過ぎてしまったり、無我夢中に没頭していると寝食を忘れたりといったことを経験することがあります。先生が研究している心理学の領域では、それを「フロー状態」と呼んでいます。この言葉の指す意味とはどういうものでしょうか?

浅川:フロー状態とは、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」と定義することができます。スポーツや趣味に打ち込むと、時間が経つのが早いですよね。はっと我に返ったとき、「楽しかったな。もう一度やってみたいな」と思うような感覚が芽生えると思います。

浅川:私は精神的な健康への興味から、フロー状態による“充実感”に関心をもっています。日本人は仕事がうまくいったときや生き甲斐を覚えたときに、「充実している」という言い方をよくします。充実感を英語でいえば、「センス・オブ・フルフィルメント」です。

 しかし、欧米のフロー研究では、「センス・オブ・フルフィルメント」という心理状態はほとんど注目されてきませんでした。

 私は論文に、“Jujitsu-kan”という日本語の表記を用いています。のめりこんであっという間に時間が経ち、没入から覚めた後、充実感が体を満たす。私たち日本人の精神的な健康をはかる上で、充実感は重要な概念だと思います。

−−「のめりこみ」や「没入」といった表現からも、フロー状態において時間感覚が変容していることがうかがえます。そのほかのフロー状態の特徴としては、どういうことがありますか?

浅川:自分の置かれている状況を「コントロールしている」という感覚が生まれます。「制御している」という感覚ではなく、「どんなことが起こっても、うまく対処できる」という自分の能力に対する確信のようなものです。

 あとは、自意識がなくなります。私も授業をしていて、とくに開始早々で学生の反応が悪いときは、自分は「うまくやれているかな」と気になりますが、つい講義に夢中になるとそういう意識が消え、あっという間に時間が経ってしまうことがあります。

 それは、“行為と意識の融合感覚”とも言えるでしょう。ツール・ド・フランスなどに参加する一流選手の記事を読んだことがありますが、その選手は自転車と自分がまったく同じひとつのシステムになったような感覚があったと語っていました。あえて操作している感覚ではないということです。
芸術家が、完成した作品に無関心なのはなぜか

浅川:フロー理論を提唱したのはハンガリー出身のアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイでした。私の師に当たります。チクセントミハイが、この領域に興味をもったのは、若い芸術家たちと接する機会があったからだといいます。

浅川:彼らはお金にもならない創作に、徹夜までして打ち込むけれど、できあがった作品には非常に無頓着。さっさと新たな創作活動に入ってしまう。いったい何がそういった行動に向かわせるのかといえば、“内発的な動機づけ”であることが、彼らへの聞き取り調査などで分かってきたのです。

−−「成功したい」とか「名声を勝ち取りたい」といった野心ではなく、創作そのものが喜びの理由というわけですね。

浅川:はい。それを「自己目的的」といいますが、創作活動そのものが楽しい。そして、人が楽しいから行う活動とは一体どのようなものなのか。その現象を理解したいというチクセントミハイの思いがフロー理論の確立にいたるきっかけでした。

浅川:フロー理論で大事なのは、人が周囲の環境をどう捉え、そこに何を見出すかということです。それは人の興味や好奇心に根差したものと言えるかもしれません。

 たとえば、書店にはたくさんの本がありますが、何を買うか決まっていない場合、どの本を選ぶかの基準は、気になったもの、好奇心にひっかかったものです。そして、自分に訴えかけたものに反応する。それによって、環境との相互作用が始まり、フローに導かれていく。

 他方、ある人は同じものにまったく興味を示さず、環境に関わりをもとうとしない。つまり、フローが起きるか否かの分かれ目は、自分の置かれている環境に興味をもち、それに積極的に関われるかどうかということだと思います。

・テレビゲームは、フロー状態を励起する装置

−−まったく興味のない、関わろうとしない分野のことに対しては、フローは起きづらいということですね。では、好奇心が掻き立てられ、積極的に関わろうとする分野において、フロー状態が生まれるのはどのようなときでしょう。ある行為について「環境との相互関係」が始まるのには、何が大切なのでしょうか?

浅川:“ 挑戦のレベル”が鍵となります。スポーツでも仕事でも、「何かをしよう」としたとき、その活動に必要とされる能力といま自分のもっている能力が釣り合っていることが、フローを経験するためには必要です。挑戦する内容が難しすぎれば不安になり、簡単すぎると退屈に感じますから。

 さらに、“目標の明確さ”も重要です。活動を始めたのはいいけれど、何をすべきかが明確にわかっていなければ、その活動は続きません。また、本当に自分がうまくやれているのかを知ることができなければ、その活動に対する興味も薄れていきます。ですから、自分の行為に対する瞬時のフィードバックも重要となります。

 たとえば、テレビゲームがフロー状態を導きやすいのは、初心者でも自分に合ったレベルから始めることができるからです。

浅川:そしてプレイヤーの技術が上がれば、それに合わせてゲームのレベルも上昇します。能力と挑戦のバランスがうまく保たれている上に、敵を倒すなどのはっきりした目的があり、しかも自分のやっていることがうまくいっているかどうかのフィードバックは、点数やレベルとして瞬時に数値化され、きわめて明確です。つまり、非常にフロー状態が起こりやすい。

−−ゲームをプレイしている中で味わう充実感は、依存症とはちがうのでしょうか?

浅川:大学生活が楽しくない学生も、家でのゲームでは充実感を味わえると聞きます。充実感と依存症とは別のものだと思いますが、生活のほかの部分でまったく充実感を得ることのできない人が、もしテレビゲームにおいてだけ、充実感あるいは生きているという感覚を得ることができるとすれば、その人がテレビゲームに依存して生きていくということが起こってくることは十分に考えられます。

 社会から逃避し、テレビゲームのみに生きているという感覚を求めるようになったとき、私たちはそれを依存症とよぶのかもしれないですね。

 ともあれ、生きている躍動感、わくわくする感覚を与えてくれる体験には、挑戦と能力のレベルが関係しているということは明らかです。

 ビジネスなら、課題の難度と取り組む能力が釣り合っていること。その仕事を通じて「達成されるべきこと」が明確になっている必要があります。

・フロー経験者はほんのわずか背伸びしている

−−分野への興味や、能力と挑戦のバランスなどがフローを経験するためには必要であることがわかりました。人の性格とフロー状態の生まれやすさの関係についてはいかがですか?

浅川:フロー理論では、フローを経験しやすい人は「自己目的的パーソナリティ」あるいは「オートテリック・パーソナリティ」(Autotelic Personality)をもつ、といいます。これは、利益や報酬のためでなく、自分がいま行っていること自体に喜びや楽しさを見出しやすい性格特性のことを指します。

 私たちフロー経験の研究者は、よくESM(Experience Sampling Method、経験抽出法)という調査方法を用います。通常のESMでは、調査協力者に1日8回、任意にアラームが鳴るようプログラムされた腕時計をつけて1週間生活してもらい、アラームがなるたびにその時の状況と幸福感、楽しさ、集中度といった心理状態を記録してもらいます。つまり、人の経験を1週間にわたり追うことができるわけです。

浅川:このESMを用いて、日本人の大学生を対象に行った私の調査では、オートテリックの学生は、挑戦のレベルが自分の能力よりもわずかに高いレベルに身を置く傾向にあることがわかりました。一方、ノンオートテリックの学生は、挑戦と能力のレベルが離れており、しかも能力のほうが挑戦するレベルよりも高い状況に身を置く傾向が強い。
「何かの役に立つかも」が、オートテリックな人生への好機

−−ノンオートテリックの人は、挑戦的な活動を避けて、安易な生活を好むということですね。何が、行為に喜びを見いだせるかどうかの違いに関わってくるのでしょうか?

浅川:オートテリック・パーソナリティの持ち主は、フローを経験するための“メタスキル”をもっているのだと思います。そのひとつが好奇心ですね。ほんのわずかだけど、自分の能力よりも高いことを行おうとするのは、「新しいことをやってみたい」「わくわくしたい」という気持ちがあるからでしょう。

 オートテリックな人は、日常生活の中で自然にそういったメタスキルを身に付けてきているのだと思います。たとえば、オートテリックな人は、ビジネスや研究で必要な文献を調べているとき、一見すると、いまの課題と関係なさそうだけれど、「これは将来的に何か役立つかもしれない」というひっかかりを覚えた本を手に取ってしまう。文献を調べるという地道な作業の中に、将来のフロー経験につながる投資を自然と行っている。

 そういうことをメタスキルと呼ぶと何やら難しいですが、わかりやすくいうと、将来も関わることになるかもしれない現在の活動に、心理的なエネルギーを使って積極的に関われる人こそが、オートテリックな人なのだと思います。