『私の政治哲学』鳩山由紀夫

しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternite)のことを指す。
 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。
 クーデンホフ・カレルギーは、今から八十五年前の大正十二年(一九二三年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。
 カレルギーは昭和十年(一九三五年)『Totalitarian State Against Man (全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義ナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。
 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。
 「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」
 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。
  「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」
 彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。
 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席捲し、祖国オーストリアヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。

クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。
 「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」
 カレルギーがここで言っているのは、今の言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。

今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、八十五年前に『汎ヨーロッパ』を刊行した時の言葉がある。彼は言った。
 「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして、「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。

諜報謀略講座 〜経営に活かすインテリジェンス〜

ITPro 経営とIT新潮流

・インテリジェンスの定義

 定義しよう。インテリジェンスとは、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用すること、ならびにそれらの素養、行動様式、知恵を総合したもの」である。

 インテリジェンスの活動にはいくつかのカテゴリーがある。最初に「基本動作」として、公開されているデータ、情報、知識を哨戒し、丹念に読み解く作業がある。専門ジャーナル、新聞、週刊誌、月刊誌、白書に加え、インターネット上で公開されている情報につぶさに当たり、意味を紡ぎだす。地味だがこの基本動作が大切である。

 次に「諜報」がある。どの国、企業、個人にも、なんらかの背景があって外部や特定の相手に知られたくない情報や事情が必ずある。その情報や事情を意図的に探り、評価し、知識に変えていく作業を諜報という。

 諜報にいそしむ相手側に対して防御的な対応を施すことを「防諜(カウンター・インテリジェンス)」という。防諜には大きく二種類ある。守秘すべきものを守秘する、機密事項は内部から漏洩しない、させないという姿勢を「消極防諜」という。ビジネスの世界でいうセキュリティーに近い。一方、敵が仕掛けてくる諜報謀略を探知し、それを逆に利用し、偽の情報を流して敵を混乱させる、仲介者などを活用して虚偽情報を作為的に流すことを「積極防諜」という。

 さらに諜報と防諜を組み合わせ、情報や知識を意図的に操作し、当方の企図する成果を実現することを「諜略」という。諜略のプロセスは通常、外部に対しては秘匿される。したがって秘密裏に画策される謀略は「陰謀」と呼ばれる。陰謀についてはその重要性に鑑み、いずれ詳しく議論していくのでここでは触れない。

 米国のインテリジェンス教育にはいくつかのスタイルがある。一つは、Master of Science in Intelligenceの学位が取得できる、インテリジェンスを専攻する学位コースである。それから、軍事学経営学、技術経営、安全保障論、公共政策学などの専攻コースの中でインテリジェンス科目を提供するスタイルもある。

 筆者が専門とする「技術経営(Management of Technology)」の中には、技術インテリジェンス(Technology Intelligence)や競合的インテリジェンス(Competitive Intelligence)という領域がある。これらの領域では、技術動向分析、競合企業の技術動向に関する諜知、諜報、謀略、陰謀などを学問的に考究している。

・ナレッジからインテリジェンスへ

 今から30年以上も前に、ピーター・ドラッカーは「知識がいまや先進的かつ発展した経済における中心的生産要素となった」と書いた。知識社会では、知識を創造し、共有し、発信し、活用し、還流させる組織や人が経済的メリットを享受する。知識社会とは知識を中心にして、富が形成、所有、配分されて社会経済が動く社会である。知識社会で知識を活用して働く労働者がナレッジワーカーだ。

 確かに、技術、ノウハウ、コンセプト、デザイン、ブランド、社会的資本は重要な知的な資産だ。だから、物理的資源ではなく、知識に着目して自社の経営資源を捉えなおし、自社独自の知識資産を構築せよ、と最近の経営学や組織論ではよく言われる。そして次のような提言が付いてくる。いわく、「対話の場を作りましょう」、「知的なサロンを会社に作りましょう」、「自律分散的に働く知的なプロフェッショナルを育成しましょう」、「先進的なIT(情報技術)を活用して知識創造の場をバーチャル空間に作り、電子井戸端会議を開きましょう」、「ワイガヤを復活させましょう」といった具合である。

 この手の話はだいたい最後のほうに哲学者の言葉が引用される。たとえば、アリストテレスを引きながら、「すべての人は生まれながらに知ることを欲しているのです。この人間の本質を大切にする経営をしましょう」と締めくくられる。

 御説、ごもっとも。知識創造やらナレッジクリエーションという言葉はビジネスパースンの琴線に妙に響く。講演会でこういう話を聞くと、仕事にかまける勉強不足の輩は、ああそうか、とついつい思ってしまうものだ。無論、知識は大切なものであり、この講座でも扱っていく。ただし、主に議論するのは、インテリジェンスについてである。これに対し、知識経営論はナレッジを主たる対象にする。

 顧客、市場の動きは企業の技術経営に連関する。そして企業の技術経営は、一国の科学技術政策に共進する。そして企業レベルの技術経営と国レベルの科学技術政策は、国際コミュニティーの機微に連関、連動する。相互に影響を与え合うこれらの動きを複雑な生命体として眺めれば、その神経系の中に流れるものがインテリジェンスである。

・データ、情報、知識、知恵の違い

 さて、データ、情報、知識、そして知恵という言葉は日常会話でも頻繁に用いられるがここで一定の定義をしておく。すなわち、データはそこにあるだけでは効用を生まない。データに意味が加わってデータは情報となる。意味を加える作業は、意味づけ、吟味、解釈と言い換えられる。そして情報の束に構造や構えが加えられて知識となる。この振る舞いを構造化、編集と言ってもよいだろう。さらに、知識の構造や体系に普遍性が付与されると知恵となる。データはそれ自体からは効用は生まないが、情報、知識、知恵は効用を生む。思考の枠組み、普遍性を求める人間に対して提供されるソリューションとして、宗教、思想、哲学がある。

・細分化が進むインテリジェンス

 インテリジェンスにおいては、多様な知や知の素材を扱う要請が強い。主としてデータや情報の収集手段を軸にして便宜的に次のように分類される。

(1) オシント(OSINT;Open Source Intelligence):
新聞、雑誌、公開企業の財務諸表、営業報告書、学術論文など、一般的な活字媒体やインターネットから得られるデータ、情報、知識。ソースコードが公開されているオープンソース・ソフトウエアも含まれる。

(2) ヒューミント(HUMINT; Human Intelligence):
人が人に接触して収集するデータ、情報、知識。相手の経歴、身体的特徴、思想傾向、雰囲気、性癖、言語化されない暗黙知も含まれる

(3) シギント(SIGINT; Signal Intelligence):
通信、電磁波、信号などを傍受して収集されるデータ、情報。シギントはさらに以下のように分類される

コミント(COMINT: Communication Intelligence):
通信傍受や、暗号ならびにトラフィックの解読によって得られるデータ、情報
・エリント(ELINT: Electronic Intelligence):
レーダーなど非通信用の電磁放射から得られるデータ、情報
・アシント(ACINT: Acoustic Intelligence):
水中音響情報などによる潜水艦、艦船および水中武器の音響から得られるデータ、情報

(4) イミント(IMINT: Imagery Intelligence):
航空機や偵察衛星によって集められる画像的データ、情報

(5) テリント(TELINT: Telemetry Intelligence):
開発実験や訓練活動の際に発信される信号(テレメトリー)から得られるデータ、情報

 日本軍に内在する行動原理を究明する試みとして、名著『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著、中公文庫)においては、先述した個々の作戦行動を敷衍して鋭い分析がなされている。同書には次のように書かれている。


 日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかったことと関係があるだろう。たとえ一見科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない。

 この本が提示するのは、戦後の日本組織一般も日本軍の体質を濃厚に継承しているのではないか、という根源的な、しかも鉛のように重く暗い仮説である。同著がダイヤモンド社から出版されたのは1984年のことだ。以来、論壇、歴史家、経営学者、戦争経験者からは明瞭な反証がなく、知識層を中心に『失敗の本質』は読み継がれている。

・インテリジェンスの組織化を図る

 インテリジェンスを体現する個人、企業、国家は発展するが、インテリジェンスが貧困な個人、企業、国家は凋落してゆく。したがって発展しようとする組織はインテリジェンスを確立し、共有し、次世代に継承しようとする。

 米国には中央情報局(CIA)、国家安全保障局NSA)、連邦捜査局(FBI)、国土安全保障省(DHS)がある。ちなみにCIAの「I」はインテリジェンスであるから、本当は中央諜報局と訳すべきだろう。英国には秘密情報部(SIS)、保安部(MI5)、政府通信本部GCHQ)、国防情報本部(DIS)などがあり、ロシアには連邦保安庁FSB)、対外諜報庁(SVR)がある。韓国には国家安全企画部があり、日本では内閣情報調査室公安調査庁、警察がある。

 公式的にはこれらの組織がインテリジェンス活動を行うが、興味深いのは各国とも、これらの公然インテリジェンス組織をインフォーマルに緩やかに結ぶ、あるいは超越する非公然の自己組織的ネットワークを持っていることである。

 国別に見ると、戦争経験、帝国経営経験、植民地支配、知を尊重する気風、コモン・ロー(自然法)の伝統、産学官連携などにより、専門機関レベルでは英国のインテリジェンスが他国を凌駕しているとされている。

日立ハイテク

NIKKEI NET 広告特集

売上の約12%を占める研究開発費であり、売上の約1%に当たる知的財産活動費です。5年度、10年後の変化を先取りし、積極的に新しい市場を開拓していくためなら、予算を惜しむことはありません。

一例を挙げれば、日立製作所の中央研究所とのコラボレーションです。これまで私たちは幾度となく、開発テーマに応じて中央研究所の研究員とチームを組んできました。直近でいえば『ビジネス顕微鏡』などが好例です(Vol.18参照)。全体では約300人。全研究所の所員が約3000人ですから、実に1割の研究員のスキルを、プロジェクトに活用させてもらっています。このように当社は、様々なビジネスシーンで日立グループの一員である強みがあるのです。

 実は知的財産活動についても同じことが言えます。日立製作所保有する知的財産は当社の10倍はあります。知的財産活動の仕組みづくり、ノウハウも豊富で、十分練られています。そんな格好のお手本が目の前にあるわけですから、これを利用しない手はありません。

 たとえば自社・他社の特許分析により、研究開発ロードマップを「見える化」すると同時に、知的財産戦略を明確化すること。特許創生を目的とした重点分野のコアとなる差別化技術、または周辺技術の権利化を図る「FS(フラッグシップ)特許活動」。特許育成を図るため、相手別・製品別特許網の構築する「PPM(特許ポートフォリオ)活動」。当社が知的財産活動をダイナミックに展開することができた背景には、日立製作所知的財産権本部との緊密な連携があったのです。

 前述の「FS特許活動」を簡単にいうと、特許出願のための申請書作成です。従来の業務に加えこの活動を新たに研究開発部隊に課したわけです。最初はどのエンジニアの顔にも、やらされてる感がにじみ出ていました。それはそうだと思います。頭の中にあるアイデアを文章化する行為は、面倒でしんどいものです。しかも膨大な量のドキュメント作成ですから、慣れるまで時間も手間もかかります。中には、ノルマや雑務ととらえている者もいました。

 そこで、職務発明制度の対価をアップしたほか、あわせて「特許表彰制度」「報奨制度」の充実を図りました。また、入社5年以内の社員を対象にした「若手トップテン」という表彰制度の導入など、インセンティブ施策を用意することでひとつのきっかけをつくり、FS特許活動の活性化をめざしました。

 もっとも、一番の動機付けになったのはエンジニア自身、申請書作成が自分の仕事のプラスになること、成長する絶好の機会であることに気付かされたことでしょう。なにしろ、申請書作成は仕事に対するモチベーションを高めてくれます。類似のアイデアでは意味がありませんので、申請には個々の特許分析が欠かせません。この分析を通じて、本人はまず競合他社の状況を把握することができます。もし、発明者の氏名欄に同じ名前が頻繁に記載されていれば、「この人がライバルだな」と自分のコンペティターも明確になる。この刺激が大切なのです。

 それから、申請書作成はモノの考え方、技術に対する考え方を整理する上で非常に有効です。不思議なもので、頭の中にあるアイデアを文章化すると、飛躍し過ぎている点や、足りない点が浮き彫りになります。そこで、もう一度考え、改善を加える。この繰り返しが、エンジニアの鍛錬になります。

 現場での私は事あるごとに「文字を書け、文章にまとめろ」と指導しています。結局、どんなに素晴らしいアイデアが頭の中に描かれていたとしても、アウトプットできなければそれはないに等しいということですから。いずれにせよ、こうしたメリットにみんなが段々と気付いてきた。完璧とまでは言えませんが、おかげで現場には知的財産意識がかなり浸透したように思います。

「充実感」を感じやすい人

日経ビジネスオンライン

 おもしろい本を読んでいるうちに夜が明けてしまうことがある。逆に、ほんの数分のプレゼンテーションが何時間にも思えてしまうことがある。

 楽しいことは夢中になって取り組めるのに、興味の向かないことは退屈で仕方ない。楽しく過ごしたほうが心身にとってプラスになることは多そうだ。

 では、我を忘れるほどハマる“没頭”とはどういう状態を指し、どのように人は没頭に導かれていくのか。そんな無我夢中状態の解明を目指した心理学の理論があるという。「フロー理論」だ。

−−楽しいことはあっという間に過ぎてしまったり、無我夢中に没頭していると寝食を忘れたりといったことを経験することがあります。先生が研究している心理学の領域では、それを「フロー状態」と呼んでいます。この言葉の指す意味とはどういうものでしょうか?

浅川:フロー状態とは、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」と定義することができます。スポーツや趣味に打ち込むと、時間が経つのが早いですよね。はっと我に返ったとき、「楽しかったな。もう一度やってみたいな」と思うような感覚が芽生えると思います。

浅川:私は精神的な健康への興味から、フロー状態による“充実感”に関心をもっています。日本人は仕事がうまくいったときや生き甲斐を覚えたときに、「充実している」という言い方をよくします。充実感を英語でいえば、「センス・オブ・フルフィルメント」です。

 しかし、欧米のフロー研究では、「センス・オブ・フルフィルメント」という心理状態はほとんど注目されてきませんでした。

 私は論文に、“Jujitsu-kan”という日本語の表記を用いています。のめりこんであっという間に時間が経ち、没入から覚めた後、充実感が体を満たす。私たち日本人の精神的な健康をはかる上で、充実感は重要な概念だと思います。

−−「のめりこみ」や「没入」といった表現からも、フロー状態において時間感覚が変容していることがうかがえます。そのほかのフロー状態の特徴としては、どういうことがありますか?

浅川:自分の置かれている状況を「コントロールしている」という感覚が生まれます。「制御している」という感覚ではなく、「どんなことが起こっても、うまく対処できる」という自分の能力に対する確信のようなものです。

 あとは、自意識がなくなります。私も授業をしていて、とくに開始早々で学生の反応が悪いときは、自分は「うまくやれているかな」と気になりますが、つい講義に夢中になるとそういう意識が消え、あっという間に時間が経ってしまうことがあります。

 それは、“行為と意識の融合感覚”とも言えるでしょう。ツール・ド・フランスなどに参加する一流選手の記事を読んだことがありますが、その選手は自転車と自分がまったく同じひとつのシステムになったような感覚があったと語っていました。あえて操作している感覚ではないということです。
芸術家が、完成した作品に無関心なのはなぜか

浅川:フロー理論を提唱したのはハンガリー出身のアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイでした。私の師に当たります。チクセントミハイが、この領域に興味をもったのは、若い芸術家たちと接する機会があったからだといいます。

浅川:彼らはお金にもならない創作に、徹夜までして打ち込むけれど、できあがった作品には非常に無頓着。さっさと新たな創作活動に入ってしまう。いったい何がそういった行動に向かわせるのかといえば、“内発的な動機づけ”であることが、彼らへの聞き取り調査などで分かってきたのです。

−−「成功したい」とか「名声を勝ち取りたい」といった野心ではなく、創作そのものが喜びの理由というわけですね。

浅川:はい。それを「自己目的的」といいますが、創作活動そのものが楽しい。そして、人が楽しいから行う活動とは一体どのようなものなのか。その現象を理解したいというチクセントミハイの思いがフロー理論の確立にいたるきっかけでした。

浅川:フロー理論で大事なのは、人が周囲の環境をどう捉え、そこに何を見出すかということです。それは人の興味や好奇心に根差したものと言えるかもしれません。

 たとえば、書店にはたくさんの本がありますが、何を買うか決まっていない場合、どの本を選ぶかの基準は、気になったもの、好奇心にひっかかったものです。そして、自分に訴えかけたものに反応する。それによって、環境との相互作用が始まり、フローに導かれていく。

 他方、ある人は同じものにまったく興味を示さず、環境に関わりをもとうとしない。つまり、フローが起きるか否かの分かれ目は、自分の置かれている環境に興味をもち、それに積極的に関われるかどうかということだと思います。

・テレビゲームは、フロー状態を励起する装置

−−まったく興味のない、関わろうとしない分野のことに対しては、フローは起きづらいということですね。では、好奇心が掻き立てられ、積極的に関わろうとする分野において、フロー状態が生まれるのはどのようなときでしょう。ある行為について「環境との相互関係」が始まるのには、何が大切なのでしょうか?

浅川:“ 挑戦のレベル”が鍵となります。スポーツでも仕事でも、「何かをしよう」としたとき、その活動に必要とされる能力といま自分のもっている能力が釣り合っていることが、フローを経験するためには必要です。挑戦する内容が難しすぎれば不安になり、簡単すぎると退屈に感じますから。

 さらに、“目標の明確さ”も重要です。活動を始めたのはいいけれど、何をすべきかが明確にわかっていなければ、その活動は続きません。また、本当に自分がうまくやれているのかを知ることができなければ、その活動に対する興味も薄れていきます。ですから、自分の行為に対する瞬時のフィードバックも重要となります。

 たとえば、テレビゲームがフロー状態を導きやすいのは、初心者でも自分に合ったレベルから始めることができるからです。

浅川:そしてプレイヤーの技術が上がれば、それに合わせてゲームのレベルも上昇します。能力と挑戦のバランスがうまく保たれている上に、敵を倒すなどのはっきりした目的があり、しかも自分のやっていることがうまくいっているかどうかのフィードバックは、点数やレベルとして瞬時に数値化され、きわめて明確です。つまり、非常にフロー状態が起こりやすい。

−−ゲームをプレイしている中で味わう充実感は、依存症とはちがうのでしょうか?

浅川:大学生活が楽しくない学生も、家でのゲームでは充実感を味わえると聞きます。充実感と依存症とは別のものだと思いますが、生活のほかの部分でまったく充実感を得ることのできない人が、もしテレビゲームにおいてだけ、充実感あるいは生きているという感覚を得ることができるとすれば、その人がテレビゲームに依存して生きていくということが起こってくることは十分に考えられます。

 社会から逃避し、テレビゲームのみに生きているという感覚を求めるようになったとき、私たちはそれを依存症とよぶのかもしれないですね。

 ともあれ、生きている躍動感、わくわくする感覚を与えてくれる体験には、挑戦と能力のレベルが関係しているということは明らかです。

 ビジネスなら、課題の難度と取り組む能力が釣り合っていること。その仕事を通じて「達成されるべきこと」が明確になっている必要があります。

・フロー経験者はほんのわずか背伸びしている

−−分野への興味や、能力と挑戦のバランスなどがフローを経験するためには必要であることがわかりました。人の性格とフロー状態の生まれやすさの関係についてはいかがですか?

浅川:フロー理論では、フローを経験しやすい人は「自己目的的パーソナリティ」あるいは「オートテリック・パーソナリティ」(Autotelic Personality)をもつ、といいます。これは、利益や報酬のためでなく、自分がいま行っていること自体に喜びや楽しさを見出しやすい性格特性のことを指します。

 私たちフロー経験の研究者は、よくESM(Experience Sampling Method、経験抽出法)という調査方法を用います。通常のESMでは、調査協力者に1日8回、任意にアラームが鳴るようプログラムされた腕時計をつけて1週間生活してもらい、アラームがなるたびにその時の状況と幸福感、楽しさ、集中度といった心理状態を記録してもらいます。つまり、人の経験を1週間にわたり追うことができるわけです。

浅川:このESMを用いて、日本人の大学生を対象に行った私の調査では、オートテリックの学生は、挑戦のレベルが自分の能力よりもわずかに高いレベルに身を置く傾向にあることがわかりました。一方、ノンオートテリックの学生は、挑戦と能力のレベルが離れており、しかも能力のほうが挑戦するレベルよりも高い状況に身を置く傾向が強い。
「何かの役に立つかも」が、オートテリックな人生への好機

−−ノンオートテリックの人は、挑戦的な活動を避けて、安易な生活を好むということですね。何が、行為に喜びを見いだせるかどうかの違いに関わってくるのでしょうか?

浅川:オートテリック・パーソナリティの持ち主は、フローを経験するための“メタスキル”をもっているのだと思います。そのひとつが好奇心ですね。ほんのわずかだけど、自分の能力よりも高いことを行おうとするのは、「新しいことをやってみたい」「わくわくしたい」という気持ちがあるからでしょう。

 オートテリックな人は、日常生活の中で自然にそういったメタスキルを身に付けてきているのだと思います。たとえば、オートテリックな人は、ビジネスや研究で必要な文献を調べているとき、一見すると、いまの課題と関係なさそうだけれど、「これは将来的に何か役立つかもしれない」というひっかかりを覚えた本を手に取ってしまう。文献を調べるという地道な作業の中に、将来のフロー経験につながる投資を自然と行っている。

 そういうことをメタスキルと呼ぶと何やら難しいですが、わかりやすくいうと、将来も関わることになるかもしれない現在の活動に、心理的なエネルギーを使って積極的に関われる人こそが、オートテリックな人なのだと思います。

表面プラズモン共鳴

Tech-On

用語解説

 金属中の電子が光と相互作用を起こす現象のこと。SPR(surface plasmon resonance)とも言う。通常は,金属中の電子は光と相互作用しないが,nmレベルの微粒子や針状の突起物の先端部が周期的に並ぶような特殊な構造をとる場合,その微細な領域中で電子と光が共鳴して,これまでの常識を覆すような非常に高い光出力をもたらすなどの効果を発現する。

 表面プラズモン共鳴自体は,金属微粒子が着色する現象として知られていた。ガラスの表面に金属微粒子を塗布した着色ガラスは鮮やかな色を示し,ステンドガラスとして普及している。自動車の着色塗装にも応用されている。これに対して近年注目されているのが,光デバイスとして使おうという試みである。そのために,ナノ領域における光の挙動を研究する「ナノフォトニクス」という研究分野も確立されつつある。
超高出力レーザや超微細バイオセンサが可能に

 光デバイスとして注目されている応用分野の一つが,高い光出力を持つ発光素子である。表面プラズモン共鳴により,数百倍から場合によっては数千倍もの光強度の増加現象が見られることから,これにより高出力な面発光レーザなどの発光デバイスを開発しようという検討が始まっている。nmレベルの微細領域に光を閉じ込めることが可能なことから,ナノ光導波路としても有望視されている。

 また,表面プラズモン共鳴が起こっている表面の領域は,わずかな分子が結合しただけで敏感に共鳴状態が変化することから,DNAなどの微小物質を検出するバイオセンサとして使う検討も進んでいる。

供給・開発状況

2006/06/09
松下電器しきい値電流を下げながら
大出力の面発光レーザを開発
「表面プラズモンミラー」を使った面発光レーザの断面写真
【図1】「表面プラズモンミラー」を使った面発光レーザの断面写真(クリックで拡大表示)

 松下電器産業は,しきい値電流(レーザ発振を始める駆動電流値)を0.5mAと下げながら,2mWという大出力を可能にした面発光レーザを開発した(Tech-On!の関連記事1)。レーザの構成は,光出力を増幅する共振器タイプで,出射側の反射ミラーとして,従来の反射膜とAg製の「表面プラズモンミラー」を組み合わせている。このミラーは,直径が200nmの穴を550nmの周期で作りこんだ構造をしており,ここで表面プラズモン共鳴が起き,光出力が著しく増大した(図1)。

 これまでは,面発光レーザのしきい値電流を下げるにはミラーの反射率を高める必要があるが,反射率を高めると光を取り出しにくくなり,光出力は弱まってしまうというジレンマがあった。表面プラズモン共鳴を利用することにより,しきい値電流を下げると共に,光出力を上げることに成功した。
米Applied Plasmon,LEDより
高効率な「発光真空管」を開発
ナノアンテナの電子顕微鏡写真。高さ100nm前後の突起がおよそ0.2μm間隔で並んでいる
【図2】ナノアンテナの電子顕微鏡写真。高さ100nm前後の突起がおよそ0.2μm間隔で並んでいる(クリックで拡大表示)

 米国のベンチャー企業,Applied Plasmon,Inc.は,外形寸法10μm×10μm×0.5μmと微小な「発光真空管」を開発した(Tech-On!の関連記事2)。発光効率はLEDの数倍と非常に高いという。

 同真空管の構造は,内部を真空状態にした微細なパッケージの中に,Siチップの表面に突起をリソグラフィで一定間隔で何列も並べた上で電界めっきでAg をコートした「ナノアンテナ」と呼ぶ素子を収めたもの(図2)。ここに20keV程度の電子線を放射して発光させる。電子線を照射すると,AgとSiの界面で表面プラズモン共鳴が起きて,発光が増幅される。用途としては,ICに集積できる発光素子としてチップ間の光配線やサーバー機間通信への応用を想定している。
産総研,Geナノドット使った
次世代の質量分析法を開発
Geナノドットの原子間力顕微鏡像。直径数十nmのドットが形成
【図3】Geナノドットの原子間力顕微鏡像。直径数十nmのドットが形成(クリックで拡大表示)

 産業技術総合研究所は,Ge(ゲルマニウム)ナノドットを試料基板に採用することにより,高分子量化合物を補助剤なしで試料を分解させずにイオン化して質量分析できる技術「ナノドットイオン化法」を開発した(Tech-On!の関連記事3)。たんぱく質などのバイオ関連物質や規制対象になっている臭素系有害物質を迅速かつ簡便に分析できる可能性が出てきた。

 Geナノドットは,単結晶Si(シリコン)基板上に分子線エピタキシー法によって作る。Si結晶とGe結晶の格子定数の違いから数十nmのドーム状の Ge結晶が成長する(図3)。このGeドット表面に表面プラズモン共鳴が起きてイオン化を促進している,と産総研では見ている。

ほめた上で否定しない

誠 Biz.ID

関根勤さんの教え方
(中略)
 人を育てる場合、どうしても、その人の欠点を直さなければいけない、という事態に直面します。その際、一体どうやって、相手の気持ちをへこませることなく欠点を直してやるか、ということについて、ひとつの例を基にお話ししています。

 その例とは、パンチ力はあるのにスタミナがない、というボクシング選手に対して、もしあなただったらどうやって指導しますか? というもの。

 さて、あなただったら、どんな言葉をそのボクサーにかけますか?
テクニック:ほめた上で否定しない

 人間誰しも欠点はあります。そして、その部分については、あまり人に触れられたくはないものです。

 しかしながら、他人の欠点となるとすぐに見抜いてしまう上に、部下や後輩を指導しなければいけない立場に立つと、ついつい相手の欠点を直したくて指摘してしまいたくなる人は結構多いようです。

 とはいえ、欠点をいきなり指摘しても気持ちを萎えさせてしまうことも分かっていますから、考えて指導しようとする人は、

* 最初にほめて、その後に欠点を指摘する

 という対応を取る方がよくいます。例えば、今回お話に上がったボクサーに対しては、

 「お前はパンチ力は十分にある!」

 「しかし、スタミナが足りない」

 「だからスタミナをつけなければいけないんだ!」

 といったような言い方をするわけですね。確かにこれも悪いアドバイス方法ではないと思います。

 しかし、ポジティブ思考が好きな関根さんは、そういったアプローチはしません。欠点にまっすぐフォーカスしないのはもちろん、相手の欠点を指摘することによって相手を否定するような言葉も使わないのです。

 では、関根さんは、いったいどのようにアドバイスするのか。以下をご覧ください。

 「お前のパンチ力はとんでもないほどある!」

 「当てるのもうまい!」

 「しかし、世の中にはよけるのがうまいヤツがいてなあ」

 「そいつに当てるためには、スタミナをつけることだ」

 「そうすりゃ、絶対勝てる!!」

 いかがでしょうか。うなってしまうくらい素晴らしいアプローチですね。

 確かに、長所をきちんと認めた上で、欠点を否定するのではなく、自分よりも上手の人間がいることを匂わせて、自分自身でその欠点を克服したくなるようなアプローチをしています。

 つまり

* 最初にほめて、その後に欠点を克服させたくなるメッセージを伝える

 というアプローチが、人の欠点を直すアドバイスの極意であるわけです。
マインド:指導者ではなく応援者という気持ちで

 部下や後輩を指導する、という立場に立ってしまうと、どうしても部下に対して上からの立場で働きかけなければいけない、という気持ちが強くなってしまう人が多いようです。

 この関係は、素晴らしい部分を伸ばしていく、というときにはあまり問題は起きないのですが、相手の欠点や短所を直そうという状況になると、問題が起きるケースが非常に多いように思います。

 というのも、欠点を直す、という考えを指導する側が持った時点で、

* 指導をするものと受けるものが対立軸に立ってしまう

 という構図になってしまうからです。しかも、上の立ち位置から自分を否定されるということになりますから、指導される側としては心中穏やかではないでしょう。日々欠点ばかりを挙げ連ねて言われ続けてしまうと、だんだん指導者の存在が疎ましくなり、いつの間にか師弟関係が敵対関係に変わってしまうという事態に発展することが決して少なくありません。

 だからこそ、指導者の立場にあるあなたがまず、

 【指導者である前に、応援者である】

という意識を、強く認識しておく必要があるように、私は思うのです。

 この「応援者」という意識を持った上で、指導が必要なときに指導する、という気持ちを持てば、きっと短所を必要以上に厳しく指摘したりすることもなくなるでしょう。また、

 「長所なんかひとつも見あたらない」

 「ほめる所などどこにもみつからない」

 「欠点ばかりが目についてしまう」

 という人も、指導者というスタンスから離れ、同じ職場にいる仲間の成長を応援しようという気持ちでその人を見てあげることで、何かしら見えてくるものもあるかもしれません。

 人をほめられない、育てられない、と悩んでいる人たちの多くは、指導力の前に、この「応援する気持ち」が不足しているように思います。

 せっかく同じ職場で働く仲間であり、なおかつ育成の責任を任されているのであれば、お互いが気持ちよく指導・育成をしていくためにも、あなた自身が「こいつを心から応援してやろう」という気持ちを持つことに、まずは取り組んでみてはいかがでしょうか。